大阪都構想否決。人間は不安が残っている限り最後は現状維持を望む。
大阪都構想については、メリット・デメリットはありますし、既に結果として
否決された政策論の是非はおいておきます。
統治体制においては、「これが正解!」というモノがないことからも、
地方のことは地方で決める。これを体現させようとしている姿勢は
心から応援していました。
中央集権、全国一律を望む声が多いのは事実。
ですが、これをやるためだけに、府知事から市長に出馬し、地域政党を
立ち上げ、後に政党を立ち上げて国政に進出し、法制定。
さらには地元で議論を続けて4年間、まさに怒涛の動きだったと思います。
結果はご承知の通り、否決。
わずか1万票差で…2%の差もありません。
それだけ拮抗していたにもかかわらず、その後の顛末は、
天と地ほどの差があります。
「それが民主主義。」と言われればそれまでですが、かくも民主主義が
残酷な制度なのかと、胸が締め付けられる思いです。
昨日のフェイスブックに私はこう書きました。
『これで(改革が)出来なければ、地方からの本当改革は二度と
できないかもしれません。
相乗り批判している自民・共産、批判は一緒にできても、じゃあ今後、
タッグを組んで国民が望む改革案をまとあげることができるかといえば、
絶対にありえない。
拙速すぎるという批判もある一方で考慮すべきは時間軸。
超少子高齢化、苦しい財政状況、格差、子育て環境・・・待ったなしの今、
指をくわえて今をやり過ごすか。それとも、今を変えて、次を見ようとするか。
注目したいと思っています。 』
それにしても、橋下市長は不世出の政治家でした。
持ちうるすべての武器(パーソナリティー)を駆使、ただのタレント弁護士
として広告塔、客寄せパンダになりきるのかと思っていたら、現場を目の
当たりにして、二重行政の問題にぶつかり、都構想を思いつく。
いつの間にかタレントとしてよりも、政治家としてのそれが最大化
していたように思います。
やり方や政策の賛否は多々あると思いますが、それでも聴衆を味方、
魅了した背景には、やはり命懸けで挑戦をしていく姿にあっただろうと
思います。
取り組みが純粋だったんだと。
そうした意味において、私にとっても、都構想の考えは違う部分も
ありましたが、自分の考えにまっすぐな、尊敬できる政治家でした。
だからこそ、政界引退というのは、残念でなりません。
誰が何と言おうと、「地方から日本を変える。」ために具体的に大きな
うねりを作り、一つの時代を作った、政治家であったことには間違い
ありません。
結果云々、政治家橋下徹の引退は無念だ。
他にも、いろいろな想いが去来しますが、今はここまでに留めたいと思います。
成田市議会議員
雨宮しんご
千葉県議会議員
雨宮 しんご
Shingo Amamiya
- 昭和53年(1978年) 10月31日生 血液型/B型(さそり座)
- はくと幼稚園・成田市立吾妻小学校
- 吾妻中学校・平成3年「少年の翼に入団」中国国際交流
- 千葉県立富里高等学校
- ニュージーランドPapakura High Schoolへ1年間留学
- 高千穂商科大学・明治大学公共政策大学院(修士)
- 成田市議会議員 4期
- 第41代 成田市議会議長
- 第17代 関東若手市議会議員の会 会長
- 第33代 成田商工会議所青年部 会長
- 成田青年会議所OB
- 千葉県中小企業家同友会東総支部
- 千葉県富里高等学校同窓会 会長
- 中学校PTA会長
- 日本サーフィン連盟公認インストラクター
- 海上安全指導員
- ※歴任を含む