熊谷俊人千葉市長との対談チラシをリリースしました。「惑わずの四十」にむけて!
みなさんこんにちは、成田市議会議員の雨宮しんごです。
本日、市政報告紙「WAVE!」特別号、第3弾となる熊谷俊人千葉市長との対談チラシをリリースしました。
熊谷市長とは同期同年齢ということもあって当選当初から親しくさせていただいているので12年来のお付き合い、市長となられた現在も、全国若手市議会議員の会を支援する立場から特別会員になっていただいています。
そうしたことから、改まっての市長室での「対談」に、こそばゆい感もあったのですが、始まってしまえばお互いの近況報告をしたり千葉市の舵取りの大変さや、日本の政策課題における地方自治の役割についてなど、ざっくばらんに意見交換をさせていただいた次第です。
毎度のことながら紙面の都合があるため、今号では私が成田で取り組んでいる「市債残高の削減」や「待機児童対策」、「家庭ごみの有料化」における千葉市の取り組み状況についての部分を掲載いたしました。
政策通としても知られる熊谷市長ですが、改めてその問題意識の高さや次世代に誇れる政策を推進するために幾多の困難を乗り越えてこられた情熱に触れ、私の裡に、なにか清新なものが突き抜けたような気がした対談となりました。
孔子の論語には、次のようにあります。
子曰、
吾十有五而志于学、
三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、
六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。
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孔子が云う、
私は十五才で(学問の道に入ろうと)決めた。
三十才でなって独立した立場を持ち、
四十才でなってあれこれと迷わず、
五十才でなって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、
六十でなって人の言葉がすなおに聞かれ、
七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった
「惑わずの四十」とされていますが、浅学菲才のわたしは四十を迎えるにあたり、大きく迷い立ち止まってしまいました。
自分のこれまでの活動や取り組んできた政策は本当に正しかったのか、信念、理念は歪んでいないか、と。
もちろん振り返ったところで、わたしはこれからも「奢らず、臆せず、媚びず」これまで通り初志を貫徹するだけですが、今回、菅原埼玉県戸田市長、音喜多東京都議会議員、熊谷千葉市長といった皆さんと向き合う機会をいただき、同世代がそれぞれのステージで死に物狂いになっている姿を目の当たりにし、「負けていられない!」「もっともっと研鑽していかなければならない!」との思いに至ることができました。
40歳になり、「惑わずの四十」どころか、むしろ迷いは倍増しているような気がしてなりませんが(笑)、「若い時の苦労は買ってでもせよ」とも言います。(え?もう若くないですか!?それは気の持ちようです!)
今後も、物事の本質を見極めながら、時には悩み、戸惑いながら一歩を踏み出していきたいと思います。
次代にツケを残さないために我々の世代ができることは、まだたくさんあります。
先日の市政報告会でもお話しさせていただきましたが、ライフワークである空港政策や新駅構想、市場移転再整備、健全財政の取り組み、観光立市に向けた観光・商業振興策、高齢者福祉、子育て支援政策など山積する課題に対し、力を注いでいきたいと思います。
さて、紙面については対談形式となっていますので普段の広報紙よりも読みやすいと思います。
お手にした折には、是非ご笑読いただければ幸いです。
それではまた明日!
千葉県議会議員
雨宮 しんご
Shingo Amamiya
- 昭和53年(1978年) 10月31日生 血液型/B型(さそり座)
- はくと幼稚園・成田市立吾妻小学校
- 吾妻中学校・平成3年「少年の翼に入団」中国国際交流
- 千葉県立富里高等学校
- ニュージーランドPapakura High Schoolへ1年間留学
- 高千穂商科大学・明治大学公共政策大学院(修士)
- 成田市議会議員 4期
- 第41代 成田市議会議長
- 第17代 関東若手市議会議員の会 会長
- 第33代 成田商工会議所青年部 会長
- 成田青年会議所OB
- 千葉県中小企業家同友会東総支部
- 千葉県富里高等学校同窓会 会長
- 中学校PTA会長
- 日本サーフィン連盟公認インストラクター
- 海上安全指導員
- ※歴任を含む