【対談 vol.3】熊谷 俊人 千葉市長と雨宮しんごの対談
わたくし、昨年の秋で40代へと踏み出すことになりました。青雲の志を裡に置き、28歳でこの道に踏み出してから12年、わき目もふらず、ただ真っ直ぐに歩んで来られたのも、ひとえにみなさま方の熱いご支援のたまものと深く感謝いたしております。
論語の為政に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る…」とあります。孔子は三十にして自立し、四十を迎えるにあたって迷いがなくなった、と言っております。浅学菲才のわたくし、三十にして立つ、ところまでは何とかなったのですが、四十を目の前にして立ち止まってしまいました。
「ここまで歩んできたことに間違いはなかったのか」、「この先もこのままでいいのだろうか」、「実のなる花を咲かすことができるだろうか」といった精神的な揺らぎが、自分の裡から出てくるのを無視できなくなってきたからです。何の疑問も持たずに突っ走ってきて、ここに来ての急制動。どうやら、ミドルエイジ クライシスに陥ってしまったように感じていました。
ですが今は、これからの道程など思い悩んだとて詮無いこと、初志の信念を貫くだけ、と自分に言い聞かせています。とはいえ、正直なところ一抹のものが潜在していることも確かです。それを払拭するため、といってははなはだ失礼だとは思いますが、交誼を頂いているこの道の先輩諸兄にお会いし、向かい合っての対話の中で大きな気宇と熱き想いをうかがい、わたし自身の糧にさせてもらいたいと企画した次第です。
第1回目は同窓の先輩である埼玉県戸田市の菅原市長と、第2回目は日本一有名な地方議員、音喜多駿東京都議会議員と、そして第3回目となる今回は同年で同期当選で親交の深い熊谷俊人千葉市長との対談になります。ご笑読いただければ幸いです。
千葉市の将来を
考えれば今やらなければ
ならない!
政治生命を賭けて
取り組みました。
市債残高削減
これがクリアできたので今後は子育て支援政策などの福祉サービスの向上にも予算を割り当てたいと思っています。
待機児童ゼロの達成
家庭ごみの有料化
続いて、ゴミ処理行政についてお聞かせてください。実は成田市では、新設した焼却炉が開設当初から「排出ごみの100%焼却が困難」な状況となっていまして、年1億円ほどの外部委託費を民間事業者に支払って過剰ごみを処理している状況です。昨年の12月市議会で取り上げたところですが、ごみの有料化が実質先行している形となっています。
柔和な笑みを浮かべながら静かなもの言いで話す熊谷市長でしたが、施策を語る時の眼光や、幾多の困難を乗り越えてそれらを成し遂げてきたという熱い男の心情に触れ、40歳という同年ながら、戸惑い惑うことばかりであったわたしの裡に、なにか清新なものが突き抜けた対談となりました。
熊谷 俊人
くまがい としひと
千葉市長3期
1978年生まれの40歳
2009年、前千葉市長が収賄容疑で逮捕された後の市長選に立候補し、前市長の後継候補である前副市長や元千葉市議らを得票数170,629票(千葉市長選挙歴代最多票)で破る。31歳5ヶ月での市長就任は現職最年少である。
また、『青年市長が挑む市政改革 未来視点で大転換』、『公務員ってなんだ? 最年少市長が見た地方行政の真実』、『選挙ってなんだ? 最年少政令市長が提案する制度改革』などの著書を出版している。Twitter等のSNSを活用した情報発信を積極的に行っており、ツイッター対話会なども実施している。
趣味は登山、詩吟、歴史など。
わたしと熊谷市長とは12年前の千葉市議選と成田市議選で、共に28歳で初当選した経緯もあり、超党派の全国若手市議会議員の会の研修会で意気投合し、以後ともに学び、酌み交わす交誼が続いている。
千葉県議会議員
雨宮 しんご
Shingo Amamiya
- 昭和53年(1978年) 10月31日生 血液型/B型(さそり座)
- はくと幼稚園・成田市立吾妻小学校
- 吾妻中学校・平成3年「少年の翼に入団」中国国際交流
- 千葉県立富里高等学校
- ニュージーランドPapakura High Schoolへ1年間留学
- 高千穂商科大学・明治大学公共政策大学院(修士)
- 成田市議会議員 4期
- 第41代 成田市議会議長
- 第17代 関東若手市議会議員の会 会長
- 第33代 成田商工会議所青年部 会長
- 成田青年会議所OB
- 千葉県中小企業家同友会東総支部
- 千葉県富里高等学校同窓会 会長
- 中学校PTA会長
- 日本サーフィン連盟公認インストラクター
- 海上安全指導員
- ※歴任を含む