松阪市の山中光茂市長が辞表を提出。。。
松坂市の山中光茂市長が辞表を提出されました。
かねてより反対のための反対しかしない、代替案を用意してこない
議会に苦しんでいたようですが、市長に就任されてから6年半で
このような決着となったようです。
http://www.yomiuri.co.jp/chubu/news/20150813-OYTNT50354.html
彼はフェイスブックで次のように綴っています。
<松阪市長として辞職届を市議会議長に出してきました。>
本日の11日付で「市長職の辞職」を市議会議長に正式に届けました。
9月30日付で正式に松阪市長を辞職いたします。6年8か月の任期でしたが、本当に幸せな日々でした。
(省略)
正直毎日が苦しかったです。様々な圧力もありました。市民目線とはもっとも遠い政治的な対立も創られました。
様々な圧力や権限を持つ立場の方々とたたかうなかで、逃げ出したくなることばかりでした。
もっと現場で、1人の人間や1人の医師として働いた方が多くのひとのためになるのでは、という葛藤もありました。
先日、青年市長会の仲間である北海道の北見市長が議会との対立のなかで自らいのちを断たれました。私も、これまでの人生において何度となく、真剣に死のうと思い、そのような行動をとったこともあります。
単に苦しいから死にたいというのではなく、自分が死んだ方が物事がうまくいくのではないか、自分がこの世界からいなくなった方がそれこそが自分の役割なのではないか、そんなことを考えることもたくさんありました。
北見市長の気持ちがすべてわかるわけではありませんが、私も市長という仕事をしているなかで、「自分」とか「私」の価値観というのは一切捨てていたように思います。
この6年半においては、様々な業界、団体、古いしがらみと沢山闘ってきました。私は本当は闘うことも争うことも苦手な人間です。感情的に怒りをだすこともできませんし、涙を流して抵抗することもできない人間です。
市民から選ばれた議会との関係が「オール野党」としての関係が6年半続いたことは何の問題もなく、歴代市長において否決も修正もなかった議会が、私になってから20回以上の否決や修正が行われたことが決して問題ある議会の行動とは思いません。
ただ、ほとんどの議員が反対の理由を述べることなく反対をし、結果として、その反対することが代替案も改善案もないために、市民の税金の無駄遣いにもつながり、そして新しい事業が生まれない環境になる、そんなことが繰り返されていました。
(省略)
魍魎が跋扈するこの世界。
民間の常識では考えられない、市民の利益は外に、
政治家の利害やその場の感情だけで物事が決断されて
いく中でも闘い続けて来られた様子がうかがえます。
先日の北見市長もまた、青年市長の一人でした。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150806-OYT1T50030.html
市長職は、真剣に正しいことをやろうとすればやるほど、
既得権益を守ろうとする力からの反発を受けなければならない
立場なのかもしれません。
私は30人の議員のうちの一人でしかありますが、弛むことなく
今後もあるべき姿を提示し続けていきたいと思います。
成田市議会議員
雨宮しんご
千葉県議会議員
雨宮 しんご
Shingo Amamiya
- 昭和53年(1978年) 10月31日生 血液型/B型(さそり座)
- はくと幼稚園・成田市立吾妻小学校
- 吾妻中学校・平成3年「少年の翼に入団」中国国際交流
- 千葉県立富里高等学校
- ニュージーランドPapakura High Schoolへ1年間留学
- 高千穂商科大学・明治大学公共政策大学院(修士)
- 成田市議会議員 4期
- 第41代 成田市議会議長
- 第17代 関東若手市議会議員の会 会長
- 第33代 成田商工会議所青年部 会長
- 成田青年会議所OB
- 千葉県中小企業家同友会東総支部
- 千葉県富里高等学校同窓会 会長
- 中学校PTA会長
- 日本サーフィン連盟公認インストラクター
- 海上安全指導員
- ※歴任を含む