活動日誌

【対談 vol.2】音喜多 駿 参議院議員と雨宮しんごの対談

わたくし、昨年の秋で40代へと踏み出すことになりました。青雲の志を裡に置き、28歳でこの道に踏み出してから12年、わき目もふらず、ただ真っ直ぐに歩んで来られたのも、ひとえにみなさま方の熱いご支援のたまものと深く感謝いたしております。
論語の為政に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る…」とあります。孔子は三十にして自立し、四十を迎えるにあたって迷いがなくなった、と言っております。浅学菲才のわたくし、三十にして立つ、ところまでは何とかなったのですが、四十を目の前にして立ち止まってしまいました。
「ここまで歩んできたことに間違いはなかったのか」、「この先もこのままでいいのだろうか」、「実のなる花を咲かすことができるだろうか」といった精神的な揺らぎが、自分の裡から出てくるのを無視できなくなってきたからです。何の疑問も持たずに突っ走ってきて、ここに来ての急制動。どうやら、ミドルエイジ クライシスに陥ってしまったように感じていました。
ですが今は、これからの道程など思い悩んだとて詮無いこと、初志の信念を貫くだけ、と自分に言い聞かせています。とはいえ、正直なところ一抹のものが潜在していることも確かです。それを払拭するため、といってははなはだ失礼だとは思いますが、交誼を頂いているこの道の先輩諸兄にお会いし、向かい合っての対話の中で大きな気宇と熱き想いをうかがい、わたし自身の糧にさせてもらいたいと企画した次第です。
第1回目は同窓の先輩である埼玉県戸田市の音喜多都議と対談させて頂きましたが、第2回目の今号は、日本一有名な地方議会議員、音喜多駿東京都議会議員と対談させて頂きました。ご笑読いただければ幸いです。

 
 

自分自身に
「縛りをかける」

東京都議会は日本一の地方議会。
そういった覚悟で臨まないと。
蟷螂の斧で終わりたくない。

若手政治家が情報発信をしていくことで、市民に政治に対して興味を持っていただくとともに、政治に強くなってほしいという願いもあります。

 
 
雨宮しんご先日は成田までお越しいただいての講演、ありがとうございました。
当日参加した若手市議会議員千葉ブロックのメンバ-から、あれ以後も「感動した」、「迫力あるしゃべりに圧倒された」などといった賛辞がわたしのところに届いています。
音喜多都議いや、ありがとうございます。そう言っていただくと、うれしい限りです。ところで雨宮さん、講演内容についての評価は…なかったみたいですね。
雨宮しんごいや、その、それは講演内容を踏まえた上でということですから…(汗)
音喜多都議(笑) 分かりました、じゃあ、そういうことにしておきましょう。

ブロガー都議

雨宮しんごでは、改めまして。音喜多都議といえばブロガー都議、といことで全国的に名を馳せていますが、365 日ブログ発信を続ける意義といいますか、こだわりについてお聞かせください。
音喜多都議そうですね、根っこの部分の考え方としては、都議会議員として自分が今なにを考え、それをどのような方策で結果に結びつけていこうとしているのか、といったことを公にすることで、自分自身に「縛りをかける」面もあります。
雨宮しんごしばりをかける、ということは「吐いた唾は呑めぬ」、一度発言したことは取り消さない、退路を断って臨む、ということですか?
音喜多都議日本一の地方議会です、東京都議会は。そういった覚悟で臨まないと…蟷螂の斧で終わりたくないですから。ですが、それだけではありません。
東京都が今何をしているのか、そしてどの方向に向かっているのかなど、 個々の事案毎に都民のみなさまに知っていただくのが主旨でもあります。雨宮さんも活動日記というタイトルでブログ活動をされているのでお判りでしょうが、地方政治の世界はネット上の情報が限られています。そのため、若手政治家が情報発信をしていくことで市民に政治に対して興味を持っていただくとともに、政治に強くなってほしいという願いもあります。

実績

雨宮しんご音喜多さんは現在2期目ですよね。普通でしたら2期目の方に「実績は?」などとお聞きしたら失礼になりますが、音喜多さんゆえに敢えてお聞きします。
音喜多都議まだ都議2 期目、30 代半ばの若輩者です。実績などといって誇れるものはありません。まあ、あえて言えば、初当選後にわたし自身の給与明細内訳をブログで公開したことで、小さな波紋を起こしたことぐらいでしょうか。(笑)
雨宮しんごNPO 法人を立ち上げて、東日本大震災による被災者支援を行っていたとお聞きしましたが。
音喜多都議ああそれは、2011 年の大震災の発生を受けて設立した「ふらいパンダ」のことです。石巻市や気仙沼市、それに釜石市でがれきの撤去作業をやりました。
雨宮しんご「ふらいパンダ」というユニークな名称の由来を教えて下さい。
音喜多都議フライパンで焼いたカステラを、被災した子供たちに配るイベントからとった名前です。行列を作って喜んでくれた子供たちの顔を見たくて、2016 年の5月までの5年間、議員になってからも続けていました。月1回のぺースでしたから、50回は超えましたかね。

波乱万丈

雨宮しんごわたしが音喜多さんを知ったのは、テレビの討論番組でした。確かあれは、2014年の「都議会セクハラやじ問題」だったと思います。わたしも市議会本会議などで質問に立っている時、幾度となく他会派の議員からやじの洗礼を受けています。ですがそれは「議会の華」といった程度のもので許容の範囲です。ですがあのやじはいけません。議会の品位を貶めるものであり、限度を超えていました。
音喜多都議わたしはマイノリティの実態に知識もないまま軽はずみな発言をしてしまい、多くの方々に不快の思いをさせてしまったことがあります。それだけにこの件に関しては、やじだから、といって見過ごすわけにはいきませんでした。
雨宮しんごこの件に関しての音喜多さんの質問やテレビ討論を見ていて、「いや~きびしいな」と思ったのですが…その後に続いた「舛添問題」での追及は、地方議会の根源である「二元代表制」のうちの一つ、チェック&バランスを発揮しての追及でした。テレビ討論においても、多くの評論家諸氏とは立ち位置の違いが鮮明であり、違う切り口での追及姿勢は際立っていましたね。
音喜多都議いやー、その辺で勘弁して下さい。持ち上げ過ぎですよ(笑)
雨宮しんご舛添氏辞任を受けての都知事選では、小池百合子現知事を支持しています。そして2017 年1 月の都民ファ-ストの会幹事長就任と順風満帆と見えたのですが…その年の7 月に幹事長辞任、そして10 月には都民ファ-ストの会を離党と波乱万丈の一年でしたね。
音喜多都議確かにおっしゃる通りでした。腰を据えてさあこれからみんなで一丸となって都政を、といった矢先の小池都知事の国政関与には、その政治姿勢にわたしとは相容れないものがあり離党を決断しました。
雨宮しんご話が尽きませんが、お約束の時間となってしまいました。本日は貴重なお話をお聞きすることができました。
本当にありがとうございました。
 

青雲の志を胸に秘め、実のなる花を咲かそう、と真っ直ぐに歩いてきたはずのわたしでしたが、何かを見失っていたようです。音喜多 駿氏の一途なまでの情熱には胸打たれるものがありました。熱い男の心意気、確かに受け取りました。

 
 

音喜多 駿

おときた しゅん

参議院議員(元東京都議会議員)

1983 年生まれの35 歳
みんなの党東京都議団政策調査会長、都民ファ-ストの会東京都議団幹事長などを経て、現在は会派かがやけTokyo 所属(2期)。地域政党「あたらしい党」代表。出身校は早稲田大学政治経済学部政治学科である。
この政治学科からは95 代総理大臣野田佳彦氏を始め、世耕経済大臣や青山繁晴参議院議員、橋下徹元大阪府知事など、数多くの著名な政治家を輩出している。
2017 年2 期目の選挙において、歴代最多得票でトップ当選を果たす。(56,376 票)また多彩な特技の持ち主であり、本格的なマラソンやストリ-トダンス、それに中国拳法に
おいては武術団体「早稲田カンフー」第23 代主将を務めている。
音喜多都議とわたしとは江東区議の奥様との関連で知り会い、以後、成田、東京という地理的な隔たりを越えて公私にわたる交誼が続いている。

 

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千葉県議会議員

雨宮 しんご

Shingo Amamiya

  • 昭和53年(1978年) 10月31日生 血液型/B型(さそり座)
  • はくと幼稚園・成田市立吾妻小学校
  • 吾妻中学校・平成3年「少年の翼に入団」中国国際交流
  • 千葉県立富里高等学校
  • ニュージーランドPapakura High Schoolへ1年間留学
  • 高千穂商科大学・明治大学公共政策大学院(修士)
  • 成田市議会議員 4期
  • 第41代 成田市議会議長
  • 第17代 関東若手市議会議員の会 会長
  • 第33代 成田商工会議所青年部 会長
  • 成田青年会議所OB
  • 千葉県中小企業家同友会東総支部
  • 千葉県富里高等学校同窓会 会長
  • 中学校PTA会長
  • 日本サーフィン連盟公認インストラクター
  • 海上安全指導員
  • ※歴任を含む

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